東京理科大学・教養教育研究院・神楽坂キャンパス教養部教授
TUSフランス会・座長
マリルカ・プロジェクト共同代表
1962年、岩手生まれ。盛岡一高卒。1980年、東京大学理科一類に入学するが、たちまち数学の授業で落ちこぼれ、留年(自分はあくまでも三次元までの人間であり、「n次元」の話には向いていないのだ、と悟る)。一時、ジャズの世界に溺れ(楽器はドラム、好きなドラマ―はエルヴィン・ジョーンズ)、最終的には、大学1、2年次の授業で一番面白いと思ったフランス語を専攻することにする。
1994年、パリ第十(ナンテール)大学博士課程修了。1994-1996年、東京大学・文学部、助手。1996-1998年、一橋大学・法学部、准教授。1998-2008年、東京都立大学・人文学部、准教授。2008年より現職。
今から思うと、1986-1987年、修士1年の時、ストラスブール大学に留学したことが、すべての始まりだったように思う(当初は、修士を終えたら普通に就職しようと考えていた)。アルザスの独特の空気に魅せられつつ、大学の授業でフランス19世紀末に起こったドレフュス事件に関心を抱き、研究職の可能性を考え始める。帰国して博士課程に進み、1990年、ふたたび渡仏。1994年、ナンテール大学にシャルル・ペギーとドレフュス事件の関係を論じる博論を提出。博論から枝分かれしたドレフュス事件論を、2001年、『ドレフュス事件のなかの科学』(青土社)として上梓。
その後は、しばらくフランス反ユダヤ主義の系譜に没頭し、レオン・ポリアコフの大著『反ユダヤ主義の歴史』(全五巻、筑摩書房、2005-2007年)の共訳に専念する(専念しすぎて、自分の本や論文が書けなくなる)。その間、同志社大学 一神教学際研究センター(CISMOR)の客員研究員に加えていただき、世界や思想を常に、ユダヤ教、キリスト教、イスラームの正三角形の枠組みで捉えることの重要さを教えられる。2007年、カナダ、モンレアル(モントリオール)大学に短期滞在した折、同大学教授ヤコヴ・ラブキン、ならびに彼の主要テーマである伝統的ユダヤ教内部の反シオニズムの思想と出会い、帰国後、ラブキンの主著『トーラーの名において』(平凡社、2010年)を訳す。
2015年、懸案だった『フランス・ユダヤの歴史』(上・下、慶応義塾大学出版会、2016年)の脱稿を契機に、ちょっと目先を変えようと、オーストラリア、メルボル大学で在外研究。そこで、戦時期の日本と上海を経験した元ポーランド・ユダヤ難民の姉弟との出会いがあり、二人の道行きを映像とともに蘇らせる歴史とアートの融合プロジェクト「マリルカ・プロジェクト」を立ち上げる。オーストラリアの現代作家アーノルド・ゼイブルを海外共同研究者とするJSPS科研費も取得(ゼイブルの代表作『カフェ・シェヘラザード』の日本語版(共和国、2020年)を上梓)。コロナ直前まで、敦賀、神戸、上海、オーストラリアでのロケを繰り返した成果は、大澤未来・監督の映画「海でなくてどこに」(72分、2021年)として結実した。その調査の途上、杉原千畝のいわゆる「命のヴィザ」の語られ方に大いに疑問を抱き、それを一次資料をもとにゼロから検証し直す『「命のヴィザ」言説の虚構』(共和国、2021年)を、いつの間にか書き上げてしまった(現在、続編を執筆中)。
我ながら、一貫性があるようでないような、不思議な研究歴である。
ひとつだけ確かなのは、もちろん意図してそうなったわけではなく、およそ7年ごとに節目がある、ということ。6年働いたら1年のブランクを挟む、という「サバティカル」のリズムは、実はきわめて自然、かつ理に適っているのかもしれない、などと思う。
(写真キャプション)メルボルンで在外研究中、足繁く通っていたアイリッシュ・パブの絶品「フィッシュ&チップス」
Copyright © 2023 東京理科大 フランス学 - All Rights Reserved.
Powered by GoDaddy
We use cookies to analyze website traffic and optimize your website experience. By accepting our use of cookies, your data will be aggregated with all other user data.